開発者について

日本機械学会「機械遺産」第102号 自由粉砕機 第1号機 (奈良式高速衝撃粉砕機)

当社(代表取締役 奈良自起)の創業者 奈良自由造が1927(昭和2)年に完成した「自由粉砕機」が、日本機械学会の2020年度「機械遺産」に認定されました。
機械遺産(Mechanical Engineering Heritage)とは、一般社団法人 日本機械学会が毎年選定し、日本の技術や産業の発展に貢献した歴史的な意義を持つ機械技術に対して、認定証が与えられるもので、「豊田自動織機(G型)」「東海道新幹線0系」など104件が、この14年間で認定されています。

自由粉砕機の写真
粉砕機 実用新案出願公告の画像

何事にもこだわった技術者

「自由粉砕機」の開発は、当時の技術では困難なカゼイン(農薬)の粉砕の依頼が発端でした。
奈良自由造は、洋書を参考に、衝撃柱付きの回転円盤で大量の微粉砕ができる粉砕機に着目し、同時に奈良自身、ビール瓶の破壊実験を行い、衝撃の「強さ」と「速度」 によって壊れる状態が変化することを確信して、設計に着手しました。
こだわった点は、国内初の新構造を考案して、「衝撃力」だけでなく「せん断力」も発生出来る構造を発明し、カゼインを始め、固い鉱物から柔らかい食品まで多種多様な原料の粉砕が可能な新粉砕機が完成しました。この粉砕機は、創業者 自由造の名前から「自由粉砕機」と命名されました。
また、銘板に記録された「No.0011」の刻印は、奈良の筆名(自由市:じゅういち)に由来して、製造番号を「No.0011」からスタートさせたのもので、これが第1号機なのです。
まさに、開発者のこだわりでした。
このこだわりは、お客様に納入された「自由粉砕機」が不具合を生じた時には、直ぐ駆けつけ状況を判断し、三日の猶予を頂いて、改良を加え、見事に解決する程のものでした。その改良は、新たな発明となり、昭和2年の実用新案を始め、特許も出願し、「自由粉砕機」関連で 26件、35年間で 計144件の特許を出願し、まさに、新技術開発と発明に対する強いこだわりを持った技術者でした。

技術者:奈良自由造

恩義を大切にした技術者

1号機は、完成したが、顧客が見つからない、世の中にない物を作りだして売り込むと言う事は、どんなに努力がいる事か、奈良の頭に嫌というほど叩き込まれました。自由造の妻(多希)も新聞などを見て、新規開拓の努力をしてくれて内助の功に助けられました。
そして注文を受け始めると、部品や材料の手配で資金が要り、粉砕試験に手間取り納品が遅れれば、支払い期限が迫り、妻と相談して箪笥の中のめぼしい物一切合切、質に入れて凌いだこともありました。
そんな折、販売代理店となった関西の豊国屋さんからは、大口の資金援助を頂き、苦境を乗り越えることが出来ました。
そのご主人の没後、息子さんが事業を継いだが上手く行かず閉店。
さらに、仕事もままならず、結局、当時の奈良機械製作所大阪出張所の所長として活躍されました。
奈良は、親の恩を子に返したわけです。

技術者達の写真

戦後の食糧難対策に「粉砕機」を役立てた
熱血技術者

終戦後の食糧難では、代用食品(芋の蔓、小麦のふすまなど)の収集と粉砕が課題でした。
芋の蔓や小麦ふすまの粉砕には、 これまでの粉砕機では役に立ちませんでしたが、「自由粉砕機」ではこれが出来ました。
奈良自由造は 『今までは、我々は敵と戦う為に働いてきた。今度は、我々の仲間を飢餓から救う為の仕事である。一人でも多く、食い延ばして救う為に、この粉砕機がお役に立つのだ。諸君!!この事を確と心に入れて努力して貰いたい!!』 と従業員にハッパを掛け、「自由粉砕機」を増産し、粉食原料の生産に寄与しました。
当時の「芋の蔓の粉砕」とはどういうものか、記録が残っていないので、昭和20年ごろの「自由粉砕機」と類似の粉砕機を用いて、再現実験を行いました。

「芋の蔓の粉砕」の再現実験結果の写真(粉砕前後の芋の蔓)

 戦後の当時の記録が残っていないので、食糧難対策に役立った「自由粉砕機」の性能を再現実験で確認しました。  

【原料の準備】

剥き芋づる(1.5Kg、L40mm x φ5mm) を棚式乾燥機にて乾燥し(熱風機温度90℃で4時間)、粉砕原料106g(水分値8.71%WB)を作成

※当時は天日干しで芋づるを乾燥

【実験条件】

周速度:65m/s       

※第一号機の最高回転速度(4000min⁻¹)とローター径(φ310mm)より周速度を計算

スクリーン:Φ1.0mm

【粉砕結果】

処理時間 : 128sec.(乾燥時間を除く)

処理量 : 原材料1.5kg → 粉砕原料(乾燥品)106g → 粉砕処理品76g

処理能力:2kg/h

【粉砕前後の写真】

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